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ウェーブフロントレーシック
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外為のイギリス建築の形態は多元的であるが、その趣は硬く冷淡で、淡白な印象さえある。豪華さや偉大さを表現したイタリアやフランス、中央ヨーロッパのバロック建築とは対照的である。ジョン・ヴァンブラは18世紀初期のイギリスを代表する建築家である。彼の設計したブレンハイム宮殿は巨大な規模の建築で、主屋と翼屋を備えたパラーディオ風の構成を持っており、バロック建築特有の重量感もある。しかし、各部のデザインは調和性がなく、鈍重で面白みに欠ける。
ルネサンス建築、また古典主義建築ではオーダーやアーチを用い、均整のとれた静的・理知的な構成の美しさを特徴とする。バロック建築でもオーダーやアーチが使われるが、しばしば曲面を用いたり彫刻・絵画を総動員するなどして、感情に訴える動的・劇的な空間を作り出そうとする。その点で反古典主義的とも言われる。
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニは、マデルノ亡き後、ローマの彫刻と建築の第一人者となった。彼はミケランジェロと同じ彫刻家として出発し、絵画を遺し、最も重要な建築を設計し、そしてミケランジェロと並ぶほど重要な芸術家とされる。しかし、両者の芸術的アプローチは全く異なる。ベルニーニは初期の作品では、マルティーノ・ロンギと同じく表現の選択肢を増やし、これを複雑に組み合わせることによって強い印象を与えるようなデザインを用いた。サン・ピエトロ大聖堂内部の天蓋付き祭壇(1624年設計)はこの典型で、ねじれ円柱や相互にかみ合う破風などのダイナミックな構成は、大聖堂内部の広大な空間の中でペテロの墓所を示す効果的な焦点となっている。しかし、これの形態はミケランジロをはじめとするマニエリスム芸術家の好みにはまったく合わないと思われる。
不動産は、建築の空間そのものを意識的に構成するようになる。サン・ピエトロ大聖堂のレッタ広場(正面前の台形の広場)、オブリクァ広場(楕円形の広場)、そしてそれを取り囲む列柱廊にもそれは見られるが、より重要な作品はヴァティカン宮殿のスカラ・レジアである。そこでは敷地のいびつさを逆に利用し、両壁を収斂することによって空間の奥行きを矯正している。
フランチェスコ・ボッロミーニは、すでに初期の作品において旧習を無視したバロック建築の独特な空間を生み出した。サン・カッロ・アッレ・クアトロ・フォンターネ聖堂の内部は、サン・ピエトロ大聖堂のドームを支える主柱に収まるほどの非常に小さな空間だが、初期バロック建築の最も重要な空間構成を持っていると言われている。彼の構築した空間は、どのような要素がどのように組み合わされているのか、一見しただけでは分からない。内部空間と外部空間の複雑な合成は彫塑的で、揺れや歪みという言葉によって修飾される。空間を複合・統合して作り上げていくその造形力はベルニーニよりも強烈だが、それゆえにベルニーニは、ボッロミーニの建築を妄想的であると断じた。さらに、彼は代表作となるサンティーヴォ・アッラ・サピエンツァ教会堂の設計に着手し、バロック建築の嗜好する空間を最も説得力のあるかたちで実現させた。ボッロミーニの建築は特殊なものに見えるが、同時に空間を扱う一般解を提示しており、その経験はやがてドイツのバロック建築に引き継がれた。
FXの空間処理方法は、イタリアではその真意をほとんど理解されることのないまま模倣されたが、グァリーノ・グァリーニはボッロミーニの方法をもとに独創的な空間をつくりあげた。ただし、彼の活躍の場はローマでなくてトリノである。また、彼は芸術家であるよりは、修道士、哲学者、そして数学者であった。数学的合理性に基づく空間を複雑に交差させる細部の処理方法は、彼が数学者であることに由来するかもしれないが、それゆえ、彼の建築は直接的な後継者をみなかった。ベルニーニやボッロミーニの造形がローマ的で個性的であるのに対し、サン・ロレンツォ聖堂などグァリーニによる装飾は、やはり個性的ではあるが、よりあか抜けた印象を与える。
ローマと北イタリアの初期バロック建築は、ベルニーニ、ボッロミーニの後、カルノ・ライナルディ、ピエトロ・ダ・コルトーナによってさらに独創的で多様な造形を形成するが、彼らの底流には常に量塊と彫塑性に対する好みが流れていた。しかし、17世紀末にはイタリアの造形力は衰退し、後期のバロックはフランスの影響を受けた古典的なものに移行する。そして、以後、ローマの芸術的地位は一地方並にまで転落し、イタリアが建築芸術を主導する立場に立つことはなくなるのである。
宰相リシュリュー、ジュール・マザランといった政治家によって経済的な活力を強力なものにしたパリは、すでに17世紀の初期から芸術の中心地としての地位をローマから奪いつつあった。フランスのバロック建築は、なによりもまず絶対君主制を具現するような国家建築において、その着想を得ることになった。
フランスでのバロックの傾向は、サロモン・ド・ブロスが設計した幾つかの建築に現れているが、より重要な仕事をしたのはフランソワ・マンサールである。彼はベルニーニやボッロミーニと同世代の人物だが、両者と比べると、オーダーをルネサンス建築の原理そのままに用いるなど、その作風は適度に抑制されている。彼の最も重要な建築は、1645年に起工されたパリのヴァル・ド・グラース教会堂とブロア城のオルレアン館、ラフィット館である。ヴァル・ド・グラースのバシリカとドームを組み合わせた円蓋式バシリカは、サン・ピエトロ大聖堂よりもドームの比重がより強調されたものとなっており、この特色は後期バロックの教会建築の特徴となっていく。ブロワのオルレアン館がパラッツオ・ベルベリーニから着想を得ていることは明らかである。入隅を滑らかに納めるカーブした列柱や、内部空間に楕円形を導入する方法もイタリアから着想を得ているが、これらを優雅に、かつ控えめに表現する造形は、むしろロココ的な意匠を想起させる。
カルロ・マデルノは、1606年にサン・ピエトロ大聖堂の身廊部分とファサードを設計し、1626年にそれを完成するまで同聖堂の主任建築家として、そしてローマの主導的な建築家として活躍した。彼は最初の本格的なバロック建築としてパラッツォ・マッティを設計(1598年)したが、バロック建築史のなかで最も重要なのは、彼が最晩年に設計したパラッツォ・バルベリーニである。北イタリアの別荘に着想を得たプランを持つこの宮殿は、部屋の繋がりも楕円の第二階段もパラーディオの概念に基づくものだが、中庭を持たないH型の平面はそれまでには全く見られない新しい形状であり、後期バロック建築の宮殿建築の発展において重要な意味を持っている。この建築には、ローマ・バロック建築を代表する二人の芸術家、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニとフランチェスコ・ボッロミーニが参加しており、正面ファサードは主にベルニーニが、細部装飾についてはボッロミーニが携わった。イスラームの人々によって生み出された建築である。ムスリム建築、ムハンマダン建築とも呼ばれる。たいへん多様な建築であり、建築材料も建築技術も多岐にわたるが、一定の統合的な原理を持ち、また、古代建築の特徴を西洋建築よりも色濃く受け継いでいる。
イスラーム文化の領域内においては、モスク、ミナレット、ミフラーブ、ムカルナスなどの施設が採用されたため、建築のデザインや構成は地域性を超えて大きな影響を受けた。また、イスラームでは偶像崇拝が禁止されていたため幾何学模様と文字装飾が発展し、美しいアラベスクやカリグラフィーがイスラーム建築を彩っている。
ここでは、イスラーム建築をいくつかの地域に分け、その変遷の歴史を展開した上で、構成要素を展開する。現代イスラーム建築についても、簡単に触れる。