初めてのレーシック手術の方へ
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ハロ、グレア
レーシック経験者にもっとも多く見られる合併症がハロとグレアです。いずれも夜間に出る症状で、光の周囲に輪ができるのがハロ、光がにじんで見えるのがグレアです。3ヶ月から遅くても6ヶ月程度で気にならない程度に治まりますが、そのあいだ夜間の運転には支障が出る可能性があります。
外国為替証拠金取引で展開された盛期ルネサンスは、ローマ略奪などの中央イタリアの混乱により、ジェノヴァ、ミラノ、ヴェネツィアなど、政治的に安定した北イタリアに継承された。特にヴェネツィアでは、マニエリスムの影響を殆ど受けず、16世紀初期に最も主導的な活動を行ったヤーコポ・サンソヴィーノは、ブラマンテ風の偉大な様式を表現した。彼の代表作であるサンソヴィーノ図書館(サン・マルコ図書館)は、ヴェネツィアの最も印象的な風景を形成している。
ヴェローナのミケーレ・サンミケーリは傑出した軍事エンジニアであり、いくぶんマニエリスムの、特にパラッツォ・デル・テからの影響を受けている。それは年を負うごとに顕著になっていくようにみえるが、パラッツォ・ベヴィラックァのデザインはラファエロの家を規範としたものであるし、マドンナ・ディ・カンパーニャ聖堂のデザインは、テンピエットを基調としたものである。これらを考察するかぎり、彼は本質的には常にブラマンテの思想に忠実であった。
資産運用もまた、一時的にはマニエリスム(特にミケランジェロ)に傾倒した。彼はブラマンテとの直接的なつながりは持たなかったが、ローマ建築とブラマンテの建築を独自に研究し、ウィトルウィウスの比例理論を再構築した。彼の建築手法は数学的調和を基調とし、対称性を重視するもので、その建築理論は『建築四書』に収められている。ヴィラ・ロトンダやバシリカ・パラディアーナは、彼の考古学的知識とルネサンスの伝統的様式が見事に混淆したものである。ヴェネツィアに建設された晩年の傑作、サン・ジョルジョ・マジョーレ聖堂とイル・レデントーレ聖堂は、光の取り入れ方や空間構成は簡素で優しい。マニエリスムの芝居がかった空間とは対照的である。彼の作風は、後にパラーディオ主義として、イギリスの建築に大きな影響を及ぼした。
中庭のデザインは、やはりブラマンテのベルヴェデーレのモティーフを使い、内部の螺旋階段などは洗練された精神を感じさせる。両者ともにブラマンテのデザインを取り入れているが、ブラマンテの大規模な建築と比べると、小振りではあるが優雅であると言える。デザインは適度に抑制されており、ミケランジェロのそれに比べると、たしかに模倣しやすかったであろう。
彼が後世に与えた最も大きな影響は、オーダーの標準的なテキストとなった著作『5つのオーダー』と、イエズス会の本部があったジェズ教会のデザインである。ジェズ教会は、アルベルティのサンタンドレア教会のプランとサンタ・マリア・ノヴェッラ教会のファサードに由来するもので、その原案はミケランジェロの手による。現在に見るファサードはジャコモ・デッラ・ポルタにより修正を受け、内部装飾は17世紀後期と19世紀に改修されて原案の通りではなが、平面はヴィニョーラの設計で、アルベルティのサンタンドレア聖堂と同じヴォールト天井を採用したラテン十字平面である。会衆に対する説教に合わせた大きさに設計されており、以後イエズス会の布教活動の発展とともに世界中で模倣された。
楽器が奏でる美しい和音の比例が、建築の美しさをも決定するという概念がルネサンス建築を特徴づける要素の一つである。数的秩序によって調和が生まれるという概念は今日においても理解しやすいものであり、その中には普遍的な要素があると言えるであろう。しかし、ルネサンス時代の比例調和の探求は、さらにルネサンス固有の様相を呈していたことに注意する必要がある。
現代では、一般に、あるものを美しいと感じるかどうかは人間の認識に依存し、美とはきわめて主観的なものと認識されている。しかし、ルネサンスの時代には、建築の美というものが単純な整数比に支配された幾何学的な構造によって、厳密に定義されると考えられていた。ルネサンス建築において、比例による数的秩序は音楽調和に関連づけられているが、これは音楽がすでに数学の一分野として、学芸として確立されていたことに起因する[2]。音楽の聴覚比例と建築の視覚比例が密接に関連するという考え方は、単なる理論にとどまらず、実際に建築に応用された。
投資信託が簡単な整数比になるような弦楽器の音を組み合わせると、心地よい和音になるという考えは古くから知られており、特定の整数比(1:2や2:3など)を神聖視する考え方は、万物の原理が数であるとするピタゴラスにまで遡ることができる。このような調和美について、ウィトルウィウスは『建築について』のなかで、劇場の設計方法として取り上げていた[3]。ウィトルウィウスが整数比を劇場という特定の設計においてのみ語ったのに対し、レオン・バッティスタ・アルベルティはこれをさらに拡張して、2:3、3:4、1:2、1:3、1:4、8:9という数比を挙げ、これが目と耳を歓ばせるものであるとして建築形態の美や調和が生み出されるという考え方を定義した。これは ネオプラトニズムに基づくものであり、建築をより普遍的に記述しようとする意識の現れであった。
音楽の調和比例が視覚的美を決定するというアルベルティの考え方は、彫刻、絵画にも規定され、ルネサンスの学者や芸術家たちによって研究された。ウィトルウィウスの述べる調和比例の根本原理は人体に表されているという記述は特に注目され、フランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニ、フランチェスコ・ツォルツィ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、そして彼と親交のあった数学者ルカ・パチョッリらは、人体の比例と数的調和の象徴としてウィトルウィウス的人物像を賞賛した。
アンドレーア・パッラーディオも『建築四書』で同じようなことを記載している。彼が提示した建築比例はアルベルティほど論理的なものではないが、彼の提示した設計図には詳細にわたって建築比例が書き込まれており、より実践的な効果があった。全ての寸法比が理論的につじつまの合うものではないが、やはりその多くは調和音の比例に基づくものであり、後世に大きな影響を与えた。ルネサンスがフランス、イギリス、スペインに影響を与えるようになると、これら比例調和の概念も継承され、18世紀半ばまで美の体系として維持された。当時の建築家たちは、このような比例を建築に取り入れることが宇宙の秩序と信じ、絶対視していたのである
ルネサンス建築に大きな影響を与えたウィトルウィウスの『建築について(De architectura libri decem)』は、1415年にポッジョによって再発見されたといわれる。しかし、14世紀にはボッカチオが引用するなど、実際にはこの当時よく知られた古典論文のひとつであった。
この建築論は、1432年頃にアルベルティによって詳細に研究され、彼自身の『建築論(De re aedificatoria)』によって再構築された。オーダーに関する理論は、アルベルティによって意味を与えられたが、彼はウィトルウィウスと同じく、オーダーを建築に必須の規則とは見なさず、あくまでも客観的な立場で解説したにすぎなかった。アルベルティが注目したのは、人体比例と建築の比例を同一とみなす理論であり、あらゆる比例尺度の根本が人間の形態であるという思想は、宇宙の全ての調和にも通じるルネサンスの比例システムとなった。アルベルティの著作はルネサンス最初の建築書であり、初は写本であったが、1485年には当時発明された活版印刷技術によって広く読まれた。フランチェスコ・マルティーニの『市民建築および軍事建築に関する理論書(Trattato di Archiettura civile e militare)』(1482年頃)は、アルベルティの論文にかなりの部分を負っている。
アントニオ・フィラレーテは、ミラノでルネサンス様式の導入を試みた最初の人物であり、『建築論(Trattato di Archietttura)』において野蛮な現代風の流儀(ゴシック建築のこと)の放棄を訴えた。彼の論文に述べられる理想都市スフォルズィンダは、様々な建築を対称に配置した有心的な都市計画を提唱したヨーロッパ最初の例であるが、実際に設計したオスペダーレ・マジョーレにも見られる集中形式に対する関心は、ミラノのサン・サチーロ墳墓祭堂(875年 )やミケロッツォが 1425年にピストイアにおいて設計したサンタ・マリア・デル・グラツィエ聖堂に刺激されたものであろう。